2015年11月16日月曜日

福岡県築上町 「城井ノ上城址」 H27.11.15

鎌倉以来の名門、豊前宇都宮氏の山城、城井ノ上(きいのこう)城址。

源頼朝の命により、豊前守に任ぜられるとともに豊前の惣地頭職となった下野国宇都宮信房が起源で、ここ城井谷を本拠としたことから「城井氏」を名乗っている。

初代信房が豊前の地頭として入国してから約400年、十八代鎮房のとき、天正15年(1587年)豊臣秀吉が九州を平定した。
秀吉は宇都宮氏を四国に移そうとしたが、鎮房が拒絶したのに怒り、豊前の新領主になった中津城主黒田孝高(如水)に攻撃を命じたが大敗してしまった。
そこで孝高は、鎮房の娘 鶴姫と自分の嫡男 長政を結婚させるという条件で和睦したが、祝いにかこつけて鎮房を中津城内に招き、不意を襲って斬殺し、時を移さず黒田勢は城井谷城を急襲し、ついに攻め落とした。この事件を世に「城井谷崩れ」という。

決して広大ではない山頂に築かれた砦で、天守閣などはないが、眺望は絶景。
城井・宇都宮氏の最後の砦とも言うでき山城なので、山頂の城跡まで登山道はあるが、
登山道途中には鎖場などがあり当時を想像できる一方、難所となっている。
なめてかかっては頂上にたどり着けない。

城井ノ上城址には、自然の巨岩の表門と裏門があり、周囲を岩壁に囲まれた地形、
三丁弓の岩は独立状の巨岩で、ここの攻め手を防ぐのに三丁の弓をもって足りたと言われる。

・・・など、うけうりの説明です。

昨年のNHK大河「黒田官兵衛」人気以降、訪れる人が多い。
駐車場から「三丁弓ノ岩」-「城址入口」-「表門」-「主郭」-「番人の穴」-「裏門」-「石抱きもみじ」-舗装道路出合い-「他域イロハモミジ」-城址入口に戻る、ゆっくり二時間で、周回出来る山道です。








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